ムジカノーヴァ 2008年3月号「演奏会批評」より抜粋 批評:時 幹雄
"久々に彼女の演奏を聴いた。2002年秋のリサイタルでのストラヴィンスキー《ペトルシュカ》の名演はいまでも鮮明に耳に残っている。 その印象は才能あふれたエネルギーの塊のように感じたものだ。そして5年。大人の女性としての気品と才気を放っていた。
偉大なピアニスト、ラザール・ベルマンの弟子として大いなる薫陶を受けていたであろう彼女。今、その師が亡くなり彼女自身、 真の自立が否が応でも試されたのではないだろうか?
ショパン《練習曲「別れの曲」》作品10−3、《ノクターン》作品9−2、《スケルツオ第2番》作品31。 彼女の求心力は凄い。聴き手はその世界にゆったりと、しかし瞬く間に包み込まれていく。
感覚的にはあたかも無伴奏ヴァイオリンの名演を聴いているようだ。 音楽の造作はいたってオーソドックス。感じた事象を素直に表現できるコントロール力とバランスのとれた音響像、言語感覚を持っている。
そして次のリスト《ラ・カンパネラ》。これはすばらしい演奏だ。技巧をはるかに超えた音楽の乱舞。なかなかお目にかかれない内容だ。 《ハンガリー狂詩曲第2番》もそのストーリーに取り込まれていく。まさに山岸ワールド。あたかも彼女と同じ目線で突き進んでいくような感覚を覚える。"
2007年11月18日 白寿ホール
批評:岸本 礼子
山岸ルツ子の演奏は近年、とみにロシア・ロマンティズムの香りを、師・ラザール・ベルマン同様濃厚に放つようになってきた。 07年11月18日の白寿ホールのリサイタルにてその香りがいかに多くの聴衆をひきつけたことか。
後半第1曲目のラフマニノフ「コレルリの主題による変奏曲」。コーダの終音の残響が消え、完全な静寂にしばらくの間包まれた後、会場で一斉に爆発するような拍手が沸き起こったのを聴きながら、あることを思い起こした。
この日の演目にも入っていたF.リストの、聴衆を熱狂の渦に巻き込んだといわれる演奏はこういうものだったのではなかったか、S・ラフマニノフがアメリカ国民の度肝を抜いたという超絶技巧とはこういう弾きぶりだったのでなかったか、と。
改めて山岸ルツ子の師の名前を見て、あることに気づく。 モスクワ音楽院出身のL.ベルマンは、同音楽院在学中、名教師として名高いA・ゴリジェンヴェイゼル教授(ゴールデンワイザー)に師事。そのゴリジェンヴェイゼルは同音楽院在学時に級友であるS.ラフマニノフとともにA.ジロティ教授に師事。ジロティは年の離れた従兄弟・ラフマニノフにモスクワ音楽院への入学を勧めた人であり、また、リスト晩年の高弟として最も有名な20世紀初頭のロシア音楽界の重鎮であった。つまり、ラザール・ベルマンはリスト、ラフマニノフの音楽の正統な流れを汲むピアニストであり、そのベルマン最晩年の唯一の弟子である山岸ルツ子は最後の直系であると言える。
リサイタル当日、私は会場で数え切れないほどの溜め息と称賛を耳にした。 圧倒的な聴覚からの情報にもかかわらず、ある人は演奏を聴きながら絵を視たといい、またある人は皮膚が総毛立ってびりびりして痛い程だったという。鼻腔から芳醇な香りを感じたと訴えた人もいた。熱狂と恍惚と強烈に五感に訴えくるもの。それがこの系譜の演奏家たちの遺伝的特徴であり、山岸ルツ子は見事にその特徴を受け継いでいるのである。
2006年Vol.79 いまカワイでは (3面) インタビュー掲載 ((株)河合楽器製作所 3/24発行)
2006年4月号 ショパン (P.15) カワイアップライトピアノ新シリーズ発表会記事 ((株)ショパン)
2006年3月号 あんさんぶる (P.2-8) インタビュー掲載 ((株)河合楽器製作所 3/1発行)
2006年1月号 Musica Nova (P.94) 演奏会批評 (音楽之友社 12/21 発売)
2005年12月号 音楽の友 "Concert Reviews" (P.181) 演奏会評 (音楽之友社 11/18 発売)
2005年11月1日 山陽新聞 玉野市で行われた公演の模様が掲載されました。(11/20)
2005年2月号 ピアノ専門誌 「レッスンの友」 インタビュー掲載 (1/18発売レッスンの友社)
山陽新聞 2004年4月8日「生命の息吹をピアノにのせ」 <直島で山岸さん演奏会ー町制50周年記念>
直島町制50周年を記念して、国際的ピアニスト山岸ルツ子さんのコンサートが 六日夜、町総合福祉センターで開かれ、来場した町民約260人は情感あふれる調べに魅了された。
コンサートは町や三菱マテリアル直島製錬所などの有志でつくる実行委員会が主催。 山岸さんは初めての直島の印象を「景色が素晴らしい」とし「山火事のことを聞いて
何か島のためにできたらと思った。新しい緑が育つ生命の息吹を音楽で伝えたい」と あいさつした。ベートーベンの「月光ソナタ」で幕を開け、ポロネーズ(ショパン)、
「ラ・カンパネラ」(リスト)など、アンコールを含め計16曲を熱演。 流れるような指遣いから紡ぎ出される一音一音に聴衆は引き込まれ、曲が終わるごとに
感嘆の声と割れんばかりの拍手が沸き起こった。ピアノ曲が好きという会社員は、 「すごかった。生演奏は心に響きますね」と感動を抑えられない様子だった。
2003年秋冬号 KAWAI 「いまカワイでは」インタビュー掲載。
2003年9月号 セキスイハウス「gm」(イデア・インターナショナル) Letter from Firenzeに執筆記事掲載。
2002年ムジカノーヴァ 12月号「山岸ルツ子ピアノリサイタル」演奏会評より抜粋批評:時 幹雄
"山岸ルツ子は大変魅力的なピアニストである。音楽構成がいたって男性的で,かつ大らか。豊かな想像力と見事なメカニックが各曲に息吹きを与えてゆく。そして細部にまで実に計算されて,その知性と想像力とのバランスが素晴らしい。当日最後のプログラム,ストラヴィンスキーの<ペトルシュカ>は白眉。微塵の迷いもなく思い切りの良いイメージ豊かなピアニズムでお祭りの喧噪と興奮状況を描き出していく。切れ味も良く,要求されているものがすべて充たされている。名演といえよう…" 2002年9月トッパンホール
2002年ショパン 12月号「山岸ルツ子ピアノリサイタル」演奏会評より抜粋 批評:長谷川 武久
"山岸ルツ子はピアニストというより,「音楽家」であることを目指している人だと思う。 この日も特にプログラム前半は,音楽に触れ合う喜びを,私は充分に感じ取ったのだった。
…シューベルトは2曲とも,ふっくらとした温かみのある音で,歌いこんでいた。 低音の上に徐々に音が乗っていくというこの人の生み出す響きは安定感があり,心地よい。
そして自然な呼吸づかいで,円滑な流れをつくり,細かな色づかいで狭苦しくない音楽を 創りあげていく。音が音を生み,だから高い山も力まず登っていく。技巧も音楽中心に
コントロールされており,聴いていてあまり抵抗とならない。よいシューベルトが聴けたと いう納得が得られた演奏であった。リストの作品も同様であり,どの曲も各々の持ち味を
よく奏出していた…" 2002年9月トッパンホールの演奏会より
2001年ムジカノーヴァ 9月号「ベルリン在住 フィレンツェ在住二人の新進気鋭のピアニスト」より抜粋 <演奏家としての恵まれた資質・山岸ルツ子ピアノリサイタル>批評:河原
亨
「たくさんの資質を備えたピアニスト。よく回る指、しなやかな腕と手、音楽のどんな種類の要求にも応えられる反射神経とすぐれたソルフェージュ力。そして彼女独自のカンタービレへのセンス。モーツァルトの"デュポールのメヌエット''はそうしたさまざまな才能がバランスよく生かされた均整のとれた演奏で感銘を与えた。続くショパンの''ソナタ第2番''は彼女の本領発揮といったところで、激情的な第1主題の扱いといい第2主題の歌い方といい、微細なテンポや響きのゆれへの配慮がなされていて、非常に高いレベルでの表現の結晶が見られた。第3楽章の「葬送行進曲」は、深く沈んだ歩みでショパンの深層に迫っていった。こうした演奏家としての確信は、大きな説得力を持つ。現在フィレンツェに居をすえて活動を続けている彼女なら、ぜひイタリア・オペラやアリアで歌われる<トルメント>といったものの精髄に触れて、その音楽を一層深めていってほしい。」
1998年8月ドイツ フレンズブルグ新聞 「シュレスビッヒ・ホルスタイン音楽祭 推薦コンサート」批評記事より抜粋
「....多くの日本人の演奏に見られがちな技巧的な見せかけだけの名人芸や和音の洪水ではなく、ピアニストとしての彼女の技巧的な腕前を超えて、柔らかく大胆なパッセージにも息吹を吹き込み、構成と内容を、彼女の深い理解力を持って聴衆に伝えた。」
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