セルゲイ・プロコフィエフ: ピアノ組曲 「ロミオとジュリエット」 作品75
- プロコフィエフの転換と<ロミオとジュリエット>
- <死とエロティシズム>の概念と<ロミオとジュリエット>
◆ プロコフィエフの転換と<ロミオとジュリエット>
プロコフィエフがバレエ音楽<ロミオとジュリエット>を作曲した1935年、新生ソビエト連邦が誕生したときの、あの一種異様な熱気と歓呼はとうにおさまり、人々は夢から覚めたように漠然とした不安を感じつつも、もう後戻りできない現実を直視せざるを得ない状況にいた。その漠然とした不安を最も感じていたのは、おそらく、帝政末期の音楽院を卒業した音楽家たちであっただろう。スクリャービン、ラフマニノフ、ショスタコーヴィッチ、そしてプロコフィエフ。
彼らの打ち立てた前衛性は、音楽がかつて“先進国西欧”からの輸入品でしかなかった頃よりさまざまな段階を経てロシアの叙情性を内包する独特なメロディーを生み出す音楽が成立してきた過程を踏まえたうえでの、さらに先へと推し進めたその先端部分であった。それらの前衛性の真の価値を理解できたのは、音楽院の教授連と一部の知識層だけだった。そして、不幸なことに、時の為政者スターリンはその両方のどちらにも属していなかった。
スターリンは自らが理解できないものは民衆も理解できない、そして芸術とは民衆のためにあり、民衆を慰め、鼓舞する道具でしかないと考えていた。そこには、音楽史上重要な多くの天才に恵まれた稀有な時代への自覚は生まれる余地も無く、そうして多くの才能と優れた作品は、上演の禁止、楽譜の発禁のために散り散りとなり、あるいは生み出される前に根元から養分を奪い取られた。これ以降、特に1948年のいわゆる「ジダーノフ批判」以後、ソビエト音楽界は暗黒時代に突入する。音楽はあらゆる個性、独創、試みを禁じられ、全ての表現は党執行部の認めるものでなければ許されなくなってゆくようになる。むろん、プロコフィエフの作品もその例外ではなかった。この不幸をストラヴィンスキーは「プロコフィエフのロシア帰国は意地悪な女神への生贄以外の何物でもなかった」、「彼がロシアに戻り、やっと自分の立場を理解したときは、もう遅かった。」といったという。プロコフィエフの前衛から古典への転換を、共産党政権のプロパガンダであった「社会主義リアリズム」の受容のためとするか、それとも、古典への傾斜が「社会主義リアリズム」と時期的に偶然合致した結果とみるかは学者の意見の分かれるところであるが、真相はプロコフィエフ本人に聞かなければわからないだろう。しかし、彼の転換期の頃は、まだ暗黒時代の入り口がぼんやり見えてはいたものの、希望の光も消えてはいなかった。転換過渡期から直後に咲いた<ロミオとジュリエット>は、音楽の中に入り混じったあらゆる原料が複雑な美しさを醸し出していることについては、称賛されこそすれ、批判されることはまだなかった。
◆ <死とエロティシズム>の概念と<ロミオとジュリエット>
プラトンによると、人間は昔、球形の両性具有だったものがその万能による傲慢と増長の末に神の怒りに触れてしまい、二つに分けられてしまったために以来、再び元の姿に戻ることを熱望するようになったという。この神の怒りによる両性の分離は、今に至るまではっきりとは解明されていない「恋に落ちる」理由を求めた、プラトンのロマンティックな説、「愛慕の説」といわれるものである。神の怒りとしての分離は元の姿への復元の禁止となり、そして、元の姿に戻ろうと片一方を探し求める情熱、すなわち恋愛は、神による禁止への侵犯という危険を孕む。これは恋愛における力学、禁止という障害の高さとそれを乗り越えようとする情熱が比例することを最初に説いたものともいえる。神の怒りは今現在に至るまで収まっていないようで、人間はいまだに両性に分離したままであり、許しを得ていない原初の姿への復元の情熱は、禁止による苦悩とその侵犯の結果である破滅の道をたどることにより、その罪を贖っているかのようにみえる。
プロコフィエフは<ロミオとジュリエット>の音楽を書く際に、原作戯曲であるシェークスピアの台本にほぼ忠実になぞっているといわれるが、大きな違いは、登場人物の扱いの中に見受けられる。特に、<少女ジュリエット>の比重が大きいといわれるが、それはロミオの主題に比べてジュリエットは多種の主題によって性格づけされていることではっきりみてとれる。そしてその多種多様な主題は、少女ジュリエットの心の成長を追うように、複雑多岐にわたって絡み合っている。軽やかで愛らしい少女を表す主要主題、婚約話に驚き、恥じらい、困惑を表す中葉動機、そして運命の人ロミオとの出会い、その愛を貫くために死を選ぶ“死の予兆”のテーマ。可愛らしい少女から死へと一直線でつながるこの主題の在り方には、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」以来の、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパを一世風靡した<死とエロティシズム>の概念がほのかに見え隠れしている。
19世紀末、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトにより提唱されたリビドー理論から導き出された性愛に関する学説は、弟子ユング、フロムなどさまざま研究者による批判と考察を経ると同時に、哲学、文学、詩、絵画、彫刻、あらゆる方面へと伝播していった。20世紀に入ると臨床から始まったこの理論は、ダダイズム、シュールレアリスムなどの芸術運動の中枢概念にまでなる。そして、20世紀を代表する哲学者、ジョルジュ・バタイユによって概念は哲学そのものとなった。
<少女ジュリエット>の主題に初めから「死」が含まれていることに注目したい。“死のテーマ”は、ジュリエットが屍となったロミオの短剣で自害する最終場面を表すための主題であるが、可愛らしい少女の主題の中にすでにこの“死のテーマ”が予告風に含められているというのは、すなわち、後に彼女が陥る運命の恋が破滅へ向かって進むこと、「死」へと向かうことを予言すると同時に、「少女」という存在そのものが「死」を象徴するモノ(シュールレアリストたちのいう「人形」)として扱われている可能性を考えたい。少女と死の観念の結びつきは、19世紀末から起こった反自然主義、象徴主義が当時破竹の勢いで発達した機械工業と結びついて導き出した観念であり、ポー、ボードレール、リラダンらが作品に競って表現、賛美したものでもある。人工的に創り出された完璧な美を備えた人形は、いまや機械仕掛けで瞬きし、ほっそりした優美な手足を動かし、そして何も語らない。人形は、芸術家の観念の中で少女と同一視され、そして、人形と少女は共に「死」に結びつく存在として表されるようになった。(しかし、もともと人形は人をかたどったものであり、原始宗教において人身御供として捧げられたのが始まりであるとする文化人類学の学説をここで確認しておくことも忘れてはならない。さらに、人身御供に供されたのは大体の場合赤ん坊か少女であったことも。この少女と人身御供の関係はストラヴィンスキー<春の祭典>を考える場合でも重要であると思われる。)
死の不吉で甘美な概念は運命の予告でもあり、少女そのものを象徴するものでもあった。そしてここで「エロティシズムとは死にまで至るほどの生の称揚である」とする、バタイユの説にたどり着く。この概念はそっくりそのままプラトンの「愛慕の説」であるともいえる。20世紀アバンギャルドと古代ギリシャの学説。まさに、恋愛こそ最も古くて新しい叡智のテーマである。
生のまばゆいほどの称揚が、<ロミオとジュリエット>においてはその情熱的な恋、両家によって引き裂かれた若い恋人たちを死へと駆り立てた情熱に他ならない。
偉大なる芸術家、ラザール・ベルマンに
岸本礼子
◆ 参考文献
- 作曲家別名曲解説ライブラリー20 プロコフィエフ 音楽の友社
- 革命と音楽 ロシア・ソビエト音楽文化史 伊藤恵子著 音楽の友社
- 大作曲家の生涯 下 ショーンバーグ著 亀井旭・玉木裕共訳 共同通信社
- プロコフィエフ その作品と生涯 サフキーナ著 広瀬信雄訳 新読書社
- 詳説 総合音楽史年表 教育芸術社
- 詳説 世界史年表 山川出版
- ロミオとジュリエット シェークスピア著 小田島雄志訳 白水Uブックス
- 悪の華 ボードレール著 堀口大学訳 新潮文庫
- 巴里の憂欝 ボードレール著 堀口大学訳 新潮文庫
- 未来のイヴ リラダン著 斉藤磯雄訳 創元ライブラリ
- 少女コレクション序説 澁澤龍彦著 中公文庫
- エロティシズム 澁澤龍彦著 中公文庫
- バタイユ入門 酒井健著 ちくま新書
- エロティシズム バタイユ著 澁澤龍彦訳 二見書房
- フロイトを超えて フロム著 佐野哲郎訳 紀伊国屋書店
- プラトン 饗宴 多田広子訳 多田健次編 鳥影社
◆ 参考文献総目録
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