曲目解説



モーツァルト: デュポールのメヌエットの主題による9つの変奏曲 K537


“カフカは次のように書いている。「すべて死ぬものは、生きている あいだは一定の目的をもち、一定の活動をしているので、それで身を すり減らして死ぬのだ。」”「思考の紋章学」澁澤龍彦著 

目的が求職活動のほかにもあるのでは、と囁かれる1789年のベル リン旅行。フリードリヒ・ヴィルヘルム二世からの招聘で向かったは ずのベルリンに到着したモーツァルトは3日もの間謁見の許可が下り ず、仕方なく宮廷の王室音楽監督であるジャン・ピエール・デュポー ルに取り持ってもらおうと一計を案じ、デュポールのメヌエットをテ ーマにした変奏曲K573を名刺代わりに書き上げたという。しかし、 そのデュポールの手によるメヌエットの主題が1786年初演のモー ツァルトのオペラ「フィガロの結婚」第4幕、“スザンナのアリア” 冒頭旋律と酷似している(全音楽譜出版社 ピアノ音楽事典 作品編  p579 木村重雄)との指摘がある。 モーツァルトの真意はどこにあったのだろうか。自らの才能を強く意 識し、収入の安定した雇われ楽士であるよりは、収入面で不安定なフ リーの立場の音楽家であろうとしたモーツァルト。そのために父や姉 との関係を絶つという犠牲を払ってまで自身の音楽の確立と才能への こだわりを持ち続けたモーツァルト。そんな彼の、言葉どおり身をす り減らして書き上げた渾身のオペラ作品の旋律主題とよく似た、プロ イセン宮廷音楽監督のメヌエットを自分が変奏曲としてアレンジし、 献呈するということは、本当に「音楽監督へのごますり」になるのだ ろうか。変奏曲作曲の本当の意図は、自分の書いたメロディーを勝手 に拝借した「お偉い音楽監督デュポール殿」の鼻をへし折ってやろう との挑発的な誘惑に駆られた「いたずら」だった、というと憶測が過 ぎるだろうか。九つの変奏曲をうやうやしく、もったいぶった様子で 謹呈するモーツァルトはまじめくさった表情の裏で舌を出して大笑い していたのではないか。冗談と悪ふざけと遊びに目がなかったモーツ ァルトならあり得ないことでもなさそうだ。 経済的に逼迫したこの時期のモーツァルトはわずかであっても収入を 得るため、また、少しでも給金の高い働き口を探すべくミュンヘン、 ライプツィヒ、ドレスデンと旅行をした。しかし、経済事情の悪化は 残された家計収支が示すとおりだが、この求職旅行には目的に合わな い寄り道や出費が多く、また、旅行日程が奇妙なほど一致している女 性歌手ヨゼーファ・ドゥシェク夫人の行動も、後世の研究者たちの鋭 い追及を免れることができない。悪化する一方の経済事情と比例する かのように悪化していく家庭事情。モーツァルトは家庭からの逃避を 企てた、というのが、「愛妻コンスタンツェ」への手紙の文面に表れ ない真のベルリン旅行の目的だったようである。

岸本礼子


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