ラフマニノフ: コレルリの主題による変奏曲 Op42
ロシア革命の混乱から逃れるために北欧へ、さ
らにアメリカへと渡り、帰国の機会に恵まれな
いまま時を過ごしていたラフマニノフ。
一時しのぎのつもりで契約したアメリカツアー
の仕事をしながら、まさかこの国が永住の地に
なるなど夢にも思わなかったろう。
しかし、ソ連・スターリン政権が1929年に
独裁体制を確立したことにより、ラフマニノフ
が渇望した帰国の望みは完全に絶たれた。
帰れぬとわかってなお、募る一方の望郷の念。
祖国への想いの強さのあまり、市民権も取ら
ず、亡くなるまでアメリカ社会に馴染まなか
ったといわれる。
1931年夏、渡米後初のオリジナルの作品が
完成した。
セルゲイ・ワシーリエヴィチ・ラフマニノフ、
58歳。アメリカに移り住んでから既に14年
の歳月が過ぎていた。
イベリア半島に中世から伝わる舞曲<フォリア
>は、アルカンジェロ・コレルリ(1653−
1713)による流麗なヴァイオリン・ソナタ
作品5(1700) によって広くヨーロッ
パに知れ渡るようになる。
哀愁をおびたメロディーはヴァイオリンの音色
と合うためか、ヴァイオリニストとして知られ
る音楽家に特によくとりあげられてきた。ヴィ
ヴァルディ、マレ、などの作品が今日に残され
ているが、われわれがもっともよく耳にするの
は、F.リスト(1811−1886)による
「スペイン狂詩曲」(1863)の冒頭主題で
あろう。リストは躍動感溢れる中世の舞曲をい
きいきとピアノ曲にアレンジし、大成功を収め
ている。しかし、リストから60年あまり経っ
てから再び現れた<フォリア>は、すっかり趣
を異にしている。
暗い静寂の中に沈みこんでいく冒頭主題<フォリ
ア>は、沈痛な響きで始まる。
もともと、「恋人を慕うあまりの嘆き、狂気じみ
た」といった意味の<フォリア>は、ラフマニノ
フにおいては狂気の発作の後の苦しみに満ちたも
のとなっている。
絶望、虚脱、そして繰り返しこみ上げてくる郷愁
と悲しみ。一音一音が孤独な音楽家の魂の、渇く
ことのない涙のように溢れてくる。
続くヴァリエーションでは、これでもか、と押し
寄せる過酷な試練の連続だ。
特有の鋭いスタッカート、ゆらめくリズム、めま
ぐるしい変拍子、オクターブを超える和音の連続、
と超絶的な技巧の絶える間がない。
ラフマニノフは言う。
「どうです?気狂いざたでしょ?主題を隠すには
こうしなければならないんですよ」
(伝記 ラフマニノフ
ニコライ・バジャーノフ著
小林久枝訳 音楽之友社 )
弾き手の限界を試すかのような技巧の嵐が去った
後、再び現れる主題は凪のような穏やかさだ。
あたかも、過ぎ去った日々の思い出に浸る孤独な
老人の微笑みのようである。
しかし、その穏やかで静かな幸福も一瞬で終わり
を告げる。
過酷な現実に引き戻す変奏の嵐が再び襲い来る。
両手に求められる和音の明確さ、鋭いリズム、確
固とした上行、下行、オクターブ移動。息のつく
間もなく、立ち止まることも許されない。ひたす
ら鍵盤の上で踊り続けることを強要される<フォ
リア>。
完璧な技術を求める超絶技巧のヴァリエーション
は、そのまま、ラフマニノフのアメリカでの亡命
生活にあてはまる。
生きるために強いられた演奏家生活では、舞台の
上での失敗は許されない。追い立てられるように
街から街へ、州から州へと移動し、常に完璧な演
奏を求められ、また、それに見事に応え続けた。
ラフマニノフは走り続けた。
走る続けることでしか、望郷の悲しみを忘れるこ
とができなかったのである。
やがて終わりのときがやってくる。
コーダでようやく得られる平穏は、人生という<
フォリア>を踊り終えようとしている人が、神に
召される前に聞く天使の歌声である。
生涯の思い出が走馬灯のように目の前を翔け抜け
ていくのを惜しみつつ、ゆっくりまぶたを閉じて
この激しくも美しいヴァリエーションは終息する。
「なぜ作曲をしないのか」
尋ねる友人にラフマニノフはこう応えている。
「私はもう、何年もライ麦のささやきも白樺の
ざわめきも聞いていないのですよ。メロディが
ないのに、どうやって作曲するんですか?」
(同上 伝記 ラフマニノフ より)
岸本礼子
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